中学(東京都中野区立第九)の成績は勉強量に比例して、よくした科目試験はトップクラス、全くと言っていいほどしない科目はビリクラス 普通にした科目は中間、私の成績は平均的なレベルです。 しかし、トップクラス、並クラス、ビリクラスの心情は理解できる(暴力をふるう人の気持ちは理解できない)・・充分時間をかけて勉強したのに「結果が出ない時は、負けた」と思うだろうが、勉強時間に比例して結果が出ているので。

 後になって、ホトンドしなっかた科目(英語)には苦労し、克服して大学に入学出来ましたが「あの時よく勉強をしておけばよかったと後悔 ”馬鹿だった”」。 私の頭がよければ、もっと質の高い豊かな生活をしているはず・・そういう意味なら「馬鹿な、落ちこぼれ人生」だ。

好きな科目は社会科(社会を生き抜く知識・・暗記ではありせん) 歴史、地理、政治経済、哲学 特に経済史と経済学史・・・経済恐慌について関心。歯ごたえのある入試問題集があったので買って解いていた・・・暫らくしてよく見たら「大学入試難問題集(?社)」でした。
その後、入学して高校の勉強科目はそっちのけで、(15-16才、プリンス日産時代に)大学でするような経済学(河上肇「経済学大綱」改造社版、他)・哲学・政治学の書物を読んでいた(社会科学研究部)。”商品、流通、そして障壁”、”貨幣の物神性”そして”産業資本から金融資本へ”派生する問題等・・・大学入試を考えるようになって・・・受験勉強に邁進(昼間は仕事)。 遠回りをしましたが、そのおかげで、現在の複雑な経済社会で何とか見通しをもって生活が出来ると思います。

在学中は、昼間は仕事、夜は受験科目の授業に集中。夜・休日は、寸暇を惜しんで受験勉強、遊ぶ時間がありませんでした。

卒業後は、昼間は仕事、金が無いので、受験勉強は 旺文社の「大学受験ラジオ講座テキスト」、参考書等で(予備校には行けませんでしたので)。

総合的な判断には文系理系双方の知識視点が必要なので
一橋大学受験 一次試験には合格 英語、数学

上二次試験日と中央大の試験日が同日でしたので法政大にしました(金がなかったので、受験料・入学金が一番安いのを)、初めから私立一本は知識のカタワ、幅が狭く偏るので
受験7科目:英語、現代国語、古文漢文、数学UB、物理B、日本史、世界史

”人の言い分”に分別をつけるには
五感による知覚作用に不自由はないか and 事情を考慮し事実を分析し思惟して総合されているか and  結論の表現に誤りはないか、正確に表現されているか・・・ 結論に至る各プロセス過程の検証をすること=自問自答をする=理性的判断・・
反対に・・感情的判断=自問自答をしない=感情に合う連想風景(十人十色)イメージの1コマに事実を当てはめて想像的に(自分がそうだから人もそうだろうと)解釈する。事実の問題点を分析できるほどの知識がなく、論理的思考能力が出来ない愚か者・・前頭葉の発達が遅れている。・・経験に縛られる人間の弱さが反映される・・「弱さを克服」する努力に反比例する=感情的判断・・

論理の出発点に対する考察自問自答、・・テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ・・その後の筋の展開・・微分方程式(寺田寅彦)
・・・(X)→[自然数→整数→(分数)→有理数→素数→無理数]=実数   虚数={iの2乗=−1}  i=ルート−1  →複素数=(a+bi
公式は最初から丸暗記しようとするのではなく、その成り立ち、証明方法から理解していけば自然に記憶できる。これは数学以外の全てに当てはまると言ってもいい。

知識は相手を理解する手助けにはなりますが、利用の仕方により良くも悪くもなる。

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